先に結論
知られずに進めるには、社名を伏せた資料から始め、関心を持った相手とだけ秘密保持契約(NDA)を結んで、段階的に情報を開示するのが基本です。中小M&Aガイドラインでは、最終契約の前に知らせるのはごく一部の関係者にとどめ、それ以外には原則としてクロージング後(早くとも最終契約後)に伝えるべきとされています。ただし事業譲渡では移ってもらう従業員の同意が必要になるなど、方法によって伝える時期の設計が変わります。
この記事のポイント
なぜ「知られずに」進める必要があるのか
中小M&Aガイドライン(第3版)は、手続き全体を通じて秘密を守り、情報の漏えいを防ぐことが極めて重要だとしています。取引先や従業員に意図せず話が伝わったり、経営者の不用意な一言でトラブルになったりして、M&Aが頓挫する例も見られるためです。
さらに、話が伝わった後で交渉がまとまらなかった場合には、取引先を失ったり従業員が辞めてしまったりして、これまでどおりの事業の継続に支障が出るおそれもあります。秘密保持は形式的な手続きではなく、会社と関係者を守るための段取りだと考えましょう。
秘密にすべきなのは、会社の数字や資料だけではありません。「会社の売却や承継を検討している」という事実そのものが、とりわけ慎重に扱うべき情報です。
情報を出す順番
一般的な中小M&Aでは、情報を一度に出すことはせず、相手の関心の度合いに合わせて段階的に開示します。最初に使う「ノンネーム・シート」は会社が特定されないように概要を簡単にまとめた資料で、関心を示した相手とだけ秘密保持契約を結び、実名や事業・財務の情報を載せた「企業概要書」を渡します。ノンネーム・シートの段階では、業種や地域なども、それだけで会社が絞り込まれない程度の書き方にとどめます。
同ガイドラインは、実名を明かす「ネームクリア」は、関心を示した候補先ごとに売り手の同意を得て、秘密保持契約を結んだうえで行うのが原則としています。取引先や同業他社など、開示したくない相手はあらかじめ伝えておきましょう。
買い手による調査(デュー・ディリジェンス)の段階でも、社内に知らせていない役員や従業員に悟られないように実施するなどの工夫が必要です。全体の流れを整理すると、次のような順番になります。
- 1社名を伏せた概要(ノンネーム・シート)で、関心の有無を打診する
- 2関心を示した相手と秘密保持契約(NDA)を結ぶ
- 3売り手が同意した相手にだけ、実名を含む企業概要書を開示する
- 4トップ面談を経て基本合意を結ぶ(秘密保持などには法的拘束力を持たせるのが通常)
- 5買い手の調査を経て、最終契約・クロージングへ
秘密保持契約(NDA)で決めておく主な項目
秘密保持契約は、やり取りの中で知った情報を秘密として守ることを約束する契約で、NDA(Non-Disclosure Agreement)ともいいます。買い手候補と結ぶもののほか、仲介会社やフィナンシャル・アドバイザー(FA)との契約の中に秘密保持の条項が入っていることも多くあります。同ガイドラインは、その条項が弁護士・税理士などの専門家や事業承継・引継ぎ支援センターへの相談(セカンド・オピニオン)の妨げにならないよう、これらへの情報共有が認められているかを確認しておくことが望ましいとしています。
中小企業庁は同ガイドラインの参考資料として秘密保持契約書のサンプルを公表しており、そこでは受け取った情報だけでなく、契約を結んだ事実や交渉の経緯そのものも秘密の対象とされています。自社の役員・従業員や、弁護士・税理士・フィナンシャル・アドバイザーなどの専門家への共有は認めつつ、共有先にも同じ水準の義務を負わせ、違反があれば共有した側が責任を負う形です。
個人保証の扱いを金融機関に相談するための開示を認める定めも置かれています。契約を交わす前に、主に次のような点を確かめておくと安心です。
- 秘密にする情報の範囲(交渉している事実そのものを含むか)
- 使ってよい目的(M&Aの検討・交渉に限ること)
- 開示してよい相手(役員・従業員や、同じ義務を負う弁護士・税理士などの専門家)
- 個人保証について金融機関に相談する場合の扱い
- 資料の返還、契約の有効期間と、終了後も秘密を守る期間
- 違反した場合の損害賠償
社内・取引先に伝えるタイミング
中小M&Aガイドラインは、最終契約の前には親族や幹部役員などごく一部の関係者にだけ極秘に知らせることもあるものの、それ以外の関係者には原則として可能な限りクロージング後(早くとも最終契約の締結後)に知らせるべきだとしています。いつ誰に伝えるかは、売り手と買い手の双方で協議して決めます。
ただし、事業を別の会社に移す「事業譲渡」では、従業員が譲受先に移るには本人の承諾が必要です(民法第625条)。厚生労働省の「事業譲渡等指針」は、承諾を得るまでに十分な協議ができるよう時間的な余裕をもって従業員と話し合うことや、労働組合などと事前に協議するよう努めることが適当としています。会社そのものが存続する株式譲渡とは、伝える時期の考え方が変わる点に注意が必要です。
株式譲渡でも、事務所の賃貸借契約や取引基本契約などに、株主や経営権が変わった場合に相手方が契約を解除できるとする条項(チェンジ・オブ・コントロール条項)があれば、契約を続けるために事前の協議が必要になることがあります(中小M&Aガイドライン)。こうした相手には、秘密保持に配慮しながら、クロージング前に話を通す段取りを組みます。
経営者保証の解除について金融機関に事前に相談する場合も、M&Aを検討していることを伝えることになります。同ガイドラインは、相談先と秘密保持契約を結んだうえで相談するのが望ましいとしています。
自分で相手を探すときの注意点
取引先や同じ地域の同業者に自分で打診する場合も、情報の扱いには同じように注意が必要です(中小M&Aガイドライン)。話がまとまらなかったときに、打診した相手から話が広がる可能性も考えておきましょう。
複数の支援機関に同時にマッチングを頼むと、同じ会社の情報が同じ相手に何度も届いて「情報が出回っている」印象を与え、必要以上に外に出るおそれがあると同ガイドラインは指摘しています。インターネットのM&Aプラットフォームも、社名を伏せた掲載でさえ会社が特定されるおそれがあるため、載せる情報の範囲を慎重に決めることが求められています。プラットフォームごとに、情報を見られる相手(法人に限るか、個人も含むか)が異なる点にも注意が必要です。
面談や調査を社内に悟られずに進める工夫
トップ面談(経営者同士の面談)や買い手の調査が始まると、来客や資料の準備が増え、社内に気づかれやすくなります。面談の日時や場所、資料の受け渡しの方法、社内の誰に何を頼むかは、支援を受けている専門家とあらかじめ決めておきましょう。
買い手の担当者が現地を見学する場合は、営業時間外に設定するなど、社内の目に触れにくい段取りも検討しましょう。資料の準備を社員に頼む必要が出てきた場合は、その社員に秘密を守ってもらう約束と、どこまで話すかの線引きも決めておくと安心です。関わる人を必要最小限に絞ることが、漏えいを防ぐ基本になります。
秘密は守り、相手には隠さない
中小機構の資料は、M&Aでは社内外への秘密保持が最も重要である一方、譲渡先に対しては自社に都合の悪いことでも隠し事をしないことが大切だとしています。後から問題が見つかると、契約の解除や補償をめぐる争いにつながりかねません。
買い手の調査に備えて、主な契約書や許認可、未払いの残業代のような帳簿に表れにくい債務の有無などを、あらかじめ自社で確かめておくと安心です。問題があれば早めに専門家に相談し、交渉の場で正直に伝えられるよう準備しておきましょう。
承継の検討は、何も決まっていない段階からでも相談できます。公的な事業承継・引継ぎ支援センターのほか、当窓口でも、ご事情を伺い、情報の扱いに配慮しながら相談先の整理とご案内をしています。
よくある質問
Q. NDAを結べば、情報が漏れる心配はなくなりますか。
A. NDAは、漏えいがあった場合に責任を問う根拠にはなりますが、漏えいそのものを完全に防げるわけではありません。開示する相手と情報の範囲を必要最小限に絞り、段階的に出していくことと組み合わせて考えることが大切です。
Q. 従業員に「会社を売るんですか」と聞かれたら、どう答えればよいですか。
A. 決まっていないことを断定的に話すと、かえって不安を広げることがあります。一方で事実と異なる説明をすると、後で信頼を損ねかねません。聞かれたときの答え方を、相談している専門家と事前に打ち合わせておくと、落ち着いて対応できます。
Q. 家族にはいつ話せばよいですか。
A. 中小M&Aガイドラインでも、最終契約の前に親族などごく一部の関係者へ極秘に知らせることはあるとされています。株式を持っている親族や、個人保証・担保に関わる家族がいる場合は、手続きそのものに関わるため、早めに相談しておく必要があることもあります。
参考にした公的な情報
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)」 https://www.meti.go.jp/files/900016275.pdf
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)参考資料(秘密保持契約書サンプル、中小M&Aの主な手法と特徴ほか)」 https://www.meti.go.jp/files/900016278.pdf
- 厚生労働省「事業譲渡等指針のポイント」 https://www.mhlw.go.jp/content/12600000/001670117.pdf
- e-Gov法令検索(デジタル庁)「民法(第625条 使用者の権利の譲渡の制限等)」 https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 中小企業基盤整備機構「中小企業経営者のための事業承継対策(令和8年度版)」 https://www.smrj.go.jp/sme/succession/succession/supporter/index.html
※ 本記事は一般的な情報提供であり、個別の状況についての税務・法務・会計の判断ではありません。具体的な判断は、税理士・弁護士などの専門家や公的な窓口にご確認ください。 当窓口は、ご相談の内容に応じて専門家や公的な相談窓口をご案内・ご紹介します(ご相談の仕組みと紹介の方針)。