先に結論
M&Aの譲渡代金は、最終契約を結んだあとのクロージング(決済)で支払われるのが通常で、相談したその日に全額が入るような進み方は一般的ではありません。「即金」を強調して判断を急がせる相手や、通帳・キャッシュカード・口座の引き渡しを求める話には応じず、経営者保証の扱いや支払時期などの契約条件を確かめてから進めることが大切です。
この記事のポイント
譲渡代金はいつ入る?契約から決済までの流れ
中小M&Aガイドラインによると、会社の売却は一般に、相手探しとトップ面談を経て基本合意を結び、買い手による調査(デューデリジェンス)を行ったうえで最終契約を結び、クロージングに至ります。クロージングとは最終契約の決済のことで、株式や財産の引き渡しと、譲渡代金(譲渡対価)の支払いが行われる工程です。
ガイドラインは、譲渡対価はクロージングを迎えて初めて支払われるのが通常だとしています。途中で結ぶ基本合意書は、独占交渉権や秘密保持などを除いて法的拘束力がないのが基本で、この段階でお金が動くわけではありません。最終契約を結んでからクロージングまでの間に、決められた手続きを終えることが前提条件とされることもあります。
つまり、「相談した翌日に全額が振り込まれる」といった進み方は、通常の手順からは外れています。資金繰りの事情で急ぐ場合に、基本合意を省いて最終契約に直接進むケースはあるとされていますが、それでも契約と決済の手順そのものがなくなるわけではありません。
- 1相談と準備(書類・希望条件の整理)
- 2相手探し・トップ面談
- 3基本合意(原則として法的拘束力なし)
- 4デューデリジェンス(買い手による調査)
- 5最終契約の締結
- 6クロージング(株式等の引き渡しと代金の支払い)
- 7引き継ぎ(クロージング後の統合作業)
クロージングで確かめたいこと、後払いのリスク
ガイドラインは、クロージングでは特に、譲渡対価の全部または一部が確実に入金されたことを確認する必要があるとしています。金額だけでなく、いつ・どの口座に入るのか、担保の解除や代表者の変更登記などの手続きをどの順番で進めるのかも、事前に段取りを確認しておきたいところです。
支払いの一部がクロージング後に回る契約もあります。ガイドラインは、譲渡代金の分割払い、役員退職慰労金のクロージング後の支払い、業績に応じて追加の対価を払うアーンアウト条項などを挙げ、事業や買い手の状況によっては支払われないリスクや、解釈の違いから争いになるリスクがあると注意しています。分割払いは、支払期間が長いほどリスクが高いとされています。
「すぐにまとまったお金が入る」と聞いていたのに、契約書を読むと大半が数年がかりの後払いだった、ということのないよう、支払時期と方法は最終契約の条文で確かめましょう。仲介会社やFAに支払う成功報酬などの手数料もかかるため、手元に残る金額の見込みもあわせて把握しておくことが大切です。
「最短◯日・即金」をうたう勧誘に慎重になりたい理由
中小M&Aガイドラインは、仲介会社やFAに対し、契約するかどうかを決めるのに必要な時間を与えずに即時の判断を迫る広告・営業や、M&Aが成立する可能性やその条件について確定的な判断を示す広告・営業をしてはならないとしています。「必ず売れる」「◯日で現金化」と言い切る勧誘は、こうした規律に沿っていない可能性があります。
中小企業庁のM&A支援機関登録制度のサイトでは、登録している仲介会社・FAを検索でき、手数料の考え方なども確かめられます。広告・営業や支援の内容に不適切な点を感じたときは、同制度の情報提供受付窓口に情報を寄せることもでき、匿名でも受け付けています。
買い手本人が「即金で買う」と直接持ちかけてくる場合もあるでしょう。その場合も、相手がどのような会社で、何のために事業を引き継ぐのか、代金をどう用意して支払うのかを確かめないまま話を進めるのは避けたいところです。
通帳・キャッシュカード・口座を求められたら取引を止める
会社の売買の話のなかで、「法人口座が付いているなら高く買う」「通帳とキャッシュカードを先に預けてほしい」「ネットバンキングのIDとパスワードを教えてほしい」などと求められたら、その時点で話を止めてください。急いでいるときほど「言われたとおりにすれば早くまとまる」と考えがちですが、応じれば売り手自身が処罰の対象になりかねません。
預貯金通帳やキャッシュカード、預貯金の引き出しや振込みに必要な情報を、正当な理由なく有償で譲り渡すことや、相手が他人になりすまして口座を使うつもりだと知りながら渡すことは、犯罪収益移転防止法で禁じられています。2026年7月10日施行の改正で罰則が引き上げられ、3年以下の拘禁刑もしくは500万円以下の罰金、またはその両方となりました。業として行えば、5年以下の拘禁刑もしくは1,000万円以下の罰金、またはその両方です。譲り渡すよう人を勧誘したり、広告などで誘ったりする行為も、同じ重さで処罰の対象になります。
正規のM&Aでは、最終契約にもとづいてクロージングの日に株式や事業用の財産の引き渡しと代金の支払いを行い、代表者の変更登記や金融機関との手続きも所定の手順で進めます。契約より前に通帳やカードだけを渡させる、口座そのものに値段をつける、といった話はこの流れと合いません。判断に迷ったら、取引のある金融機関や警察に相談してください。
経営者保証が外れないまま手放す危険
急いで売るときに見落とされやすいのが、経営者個人の連帯保証(経営者保証)です。会社を売っても、金融機関との保証契約は自動では外れません。保証が残ったまま経営権だけが移ると、買い手のもとで会社の返済が滞ったときに、元の経営者が保証人として請求を受けるおそれがあります。
中小企業庁は、経営者保証を引き受けないまま売り手の会社の現預金などを移し、支払いに問題を生じさせて倒産に至らせる行為を繰り返した不適切な譲り受け側の存在が報道で指摘されているとして、注意を呼びかけています。特に、経営者保証の引受けを前提に低い譲渡額を示された場合などは注意が必要で、弁護士などの士業や事業承継・引継ぎ支援センターにセカンド・オピニオンを求めることも検討するよう勧めています。
備えとしてガイドラインが挙げるのは、保証の解除や引継ぎを買い手の義務として最終契約に書き込む、それをクロージングの前提条件にする、守られなかったときに契約を解除したり補償を求めたりできる条項を入れる、といった対応です。また、仲介会社やFAには、不適切な譲り受け側の情報を業界内で共有する仕組みへの参加の有無を依頼者に説明することが求められており、業界団体の一般社団法人M&A支援機関協会による情報共有の仕組み(特定事業者リスト)も運用されています。依頼先がこうした仕組みに参加しているか、尋ねてみるのも一つの方法です。
急いでいても安売りしないために、公的窓口も並行して使う
「期限までに現金が必要」という事情が相手に伝わると、条件の交渉で不利になりやすいものです。急いでいるときほど、事業の強みと譲れない条件を先に書き出し、一社の提示だけで即決しないことが、価格と条件を守ることにつながります。ガイドラインも、希望条件を明確にして優先順位をつけ、譲歩できない点を固めておくことが円滑な交渉に役立つとしています。
もう一つの備えが、民間の支援機関と並行して公的な窓口にも相談しておくことです。国が設置する事業承継・引継ぎ支援センターは、第三者への引継ぎを含む事業承継の相談を無料で受け付けており、提示された条件について意見を求める先にもなります。資金繰りそのものが厳しいなら、全都道府県に設置されている中小企業活性化協議会(相談無料)で、収益力の改善や再生、再チャレンジの支援を受けられないかを確かめることもできます。
売却を急ぐ理由が資金繰りなら、売却以外の手当てで時間を確保できる場合もあります。時間に余裕ができれば、そのぶん相手や条件を比べる余地も生まれます。
焦りから起きやすいこと
- 「今すぐ」だけを前面に出して交渉する
- 最初に示された条件でそのまま決める
- 保証や支払時期の確認を後回しにする
- 誰にも意見を聞かずに一人で判断する
急いでいても条件を守る動き
- 希望時期と譲れない条件を先に決めておく
- 複数の候補や提示を比べる
- 保証の扱いと支払時期を契約書で確かめる
- 専門家や公的窓口に意見を求める
よくある質問
Q. 買い手から「保証は後で外すから大丈夫」と言われました。そのまま進めてよいですか?
A. 口約束だけで進めるのは避けましょう。保証の解除や引継ぎは最終的に金融機関が判断するもので、正式な手続きは、クロージングを経て登記上の代表者が変わった後になります。そのため、最終契約の前に、秘密保持に配慮しながら買い手と一緒に保証先の金融機関へ相談しておくことも、ガイドラインで選択肢として示されています。
Q. クロージングのあとも、会社の仕事に関わる必要がありますか?
A. ガイドラインは、クロージング後も売り手の経営者が、買い手による円滑な引継ぎに誠実に対応することを求めています。引継ぎの作業には3か月〜1年程度かかることが多いとされていますが、個別のケースで異なります。最終契約で協力の義務を定めた場合は、それを果たす必要があります。
Q. 仲介会社への手数料は、いつ、どのくらいかかりますか?
A. 契約によって異なります。ガイドラインでは、着手金、月額報酬、中間金、成約時の成功報酬といった形があり、最低手数料が設けられている場合もあると説明されています。成功報酬は主にクロージング時など案件の完了時に発生するため、契約前に計算方法と金額の目安を確認しておきましょう。
参考にした公的な情報
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)」 https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/m_and_a_guideline.html
- 中小企業庁「M&A支援機関登録制度(中小企業の皆様への周知・注意喚起、情報提供受付窓口)」 https://ma-shienkikan.go.jp/
- 警察庁「令和8年犯罪収益移転防止法の改正について」 https://www.npa.go.jp/bureau/sosikihanzai/hansyu/houritukaisei.html
- e-Gov法令検索(デジタル庁)「犯罪による収益の移転防止に関する法律」 https://laws.e-gov.go.jp/law/419AC0000000022
- 中小企業基盤整備機構「事業承継・引継ぎ支援センター(事業承継・引継ぎポータル)」 https://shoukei.smrj.go.jp/center/
- 中小企業庁「中小企業活性化協議会(収益力改善・再生支援・再チャレンジ支援)」 https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/saisei/index.html
※ 本記事は一般的な情報提供であり、個別の状況についての税務・法務・会計の判断ではありません。具体的な判断は、税理士・弁護士などの専門家や公的な窓口にご確認ください。 当窓口は、ご相談の内容に応じて専門家や公的な相談窓口をご案内・ご紹介します(ご相談の仕組みと紹介の方針)。